リリが虹の橋を渡った翌日。
私はきっと、ご飯も食べられず、一日中泣いているんだろうと思っていました。
18年10ヶ月。
人生の半分近くを一緒に過ごした家族です。
姿が見えなくなったら、きっと耐えられないくらい寂しくなる。
そう思っていました。
でも実際は少し違いました。
もちろん悲しくないわけではありません。
リリの姿はもうありません。
名前を呼んでも返事はありません。
でも不思議と、想像していたほどの寂しさはありませんでした。
むしろ、
「よく頑張ったね」
そんな気持ちの方が大きかったのです。
私は実家で2匹の猫を飼っていた経験があります。
でも、その子たちが亡くなった時にはすでに実家を離れていました。
だから、猫の最期を見送る経験は今回が初めてでした。
正直、自分でも意外でした。
なぜ私はこんなに落ち着いているんだろう。
なぜ想像していたほど泣いていないんだろう。
しばらく考えてみて、答えはすぐに見つかりました。
私はリリの残された時間を意識しながら過ごしていました。
胸に影が見つかってからの数週間。
食べられるものを探し、
夜中も起きてご飯をあげ、
病院へ通い、
少しでも楽に過ごせるように工夫しました。
そして最後の2日間は、パパと二人でずっとリリのそばにいました。
仕事も休み、
ひとりぼっちにしないように交代で見守り、
たくさん話しかけ、
たくさん撫でました。
後悔がゼロかと言われれば違います。
もっとできたことがあったかもしれません。
もっと早く気づけたことがあったかもしれません。
それでも、
私たちなりにできることは全部やった。
そう思えました。
何より、
あんなに苦しそうだったリリが、
最後は私たちの腕の中で旅立つことができました。
以前、私はリリに約束をしていました。
「ひとりぼっちの時に逝かないでね。」
するとリリは、その約束を本当に守ってくれました。
パパとママが見守る中で、
静かに眠るように旅立っていったのです。
だからなのかもしれません。
悲しさよりも先に、
安心感がありました。
そして不思議な達成感もありました。
もちろん会いたいです。
今でも毎日会いたいと思います。
でも、
「最後まで愛情を持って接することができた」
という気持ちが、私の心を支えてくれていました。
そしてもう一つ不思議なことがありました。
リリの姿は見えないのに、
家の中にいる感じがするのです。
いつもの場所。
いつもの空気。
いつもの気配。
もちろん気のせいかもしれません。
でも私は本当にそう感じていました。
きっとリリはまだ家の中にいたんだと思います。
ペットロスという言葉があります。
でも私の場合、それは見送った翌日には来ませんでした。
その日はただ、
「よく頑張ったね」
「ありがとう」
そんな気持ちでいっぱいでした。
そして何より、
リリが苦しみから解放されたことに心から安心していました。
それが、リリを見送った翌日の正直な気持ちです。


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